駿河 賤機山城


お城のデータ
所在地 静岡市葵区大岩町賤機山
遺 構 曲輪、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 今川範政 築城年代: 応永17年頃


見 ど こ ろ
( 一の曲輪と土塁 )
 賤機山城は、今川氏の菩提寺臨済寺の背後に南北に連なる賤機山山頂部に築かれている。比高自体は137mと高くはないが、南麓にある浅間神社から賤機山公園へて城跡まで稜線を延々と約1時間ほど登る。

 賤機山城の縄張りは、南北に伸びる稜線の痩せ尾根上に北から三の曲輪・一の曲輪・二の曲輪と曲輪を並べた連郭式の城だ。城域の南北端には堀切を設けて遮断線を構築している。また、一の曲輪・二の曲輪には土塁の遺構が良く残っていた。


歴     史
( 二の曲輪と土塁 )
 賤機山城は、応永17年頃に今川範政によって築かれたと云う説が有力であるが、南北朝時代に今川範国が北朝方の狩野貞長の安倍城に対峙するために築いたとの云う説と戦国時代に今川氏親によって築かれたと云う説と三説がある。

 永禄11年に武田信玄は駿河へ侵攻し、今川氏真を朝比奈泰朝の居る遠江掛川城へと追いやり、同13年に駿河を平定した信玄は、駿河留守居として武田信友を駿府に置いた。ただ、賤機山城の廃城時期は定かでない。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線静岡駅〜バス/浅間神社
 車 : 東名高速静岡IC〜国道1号線〜県道27号線
駐車場: 浅間神社付近の有料駐車場を利用


ひとくち MEMO
駿河守護今川氏の詰の城となっていたお城。

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