讃岐 十河城


お城のデータ
所在地 香川県高松市十河東町
遺 構 曲輪、空堀
形 式 丘城 築城者: 十河氏 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 十河城は、現在称念寺の境内となっている台地一帯に築かれていた。称念寺が本の丸跡と云われ、往時とは随分地形も変わっているとは思うが、西に鷺池、東は傾斜地といった要害の基本地形に変化はないだろう。

 城の遺構として称念寺の北側に空堀が残ると資料にあったが、現地を見る限りよくわからなかった。むしろ寺の山門の方が城の遺構かと思えてくるのは私だけか・・・。


歴     史
 十河城は、南北朝時代に十河氏によって築かれた。十河氏は、植田氏の一族で十河の地を分地され十河氏を称し、以後十河氏代々十河城を居城とした。

 戦国時代、十河景滋は阿波三好長慶の弟一存を養子に迎えた。一存は、長兄三好長慶と共に畿内にて奮戦し 「鬼十河」の異名をとった。一存没後、三好義賢の子存保が継ぎ、三好氏の勢力を背景に讃岐の旗頭となった。

 天正12年、十河存保は土佐長宗我部元親に引田城の攻防に敗れ、居城十河城も落城した。豊臣秀吉の四国征伐後、存保が十河城主に返り咲いたが、天正14年に秀吉の九州征伐に従軍し、島津氏との豊後戸次川の合戦にて討死した。


お城へのアクセス
鉄 道: 琴平電鉄長尾線平木駅〜タクシー約10分
 車 : 高松道高松中央IC〜国道11号線〜県道10号線/十河東町〜県道30号線
駐車場: 称念寺の参拝者用無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
讃岐を制した十河氏の居城。

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