讃岐 引田城


お城のデータ
所在地 香川県東かがわ市宮後
遺 構 曲輪、石垣、空堀
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 引田城は、引田港の北側にある城山山頂に築かれた城だ。城山は、昔は島であった陸繋島で西側で陸続きとなり、残る三方は断崖となり海に面した要害の地形となっている。

 登城口は3ヶ所あるが、一番わかり易くて車も停めやすいとなれば、田の浦キャンプ場前の駐車場前から「北の郭」へのルートがお勧め。登城口前に道しるべがあり、丹波丸経由で遊歩道が整備されている。

 引田城の縄張りは、城山山頂部を馬蹄形に南の郭・西の郭・北の郭・東の郭と順に配置され、最高所の東の郭が本丸と思われる。

 引田城は、総石垣づくりの城であったと云われ、随所に破却された石垣のラインが僅かに残っている。その中でも西の郭と北の郭の石垣が比較的良く残っていた。 


歴     史
 引田城は、築城者や築城年代は定かではないが、永正年間に四宮左近が居城したと云われている。

 元亀元年、四宮光武は阿波の三好長治に攻められ落城。引田城へは長治の家臣矢野駿河守を城主にした。天正7年に矢野駿河守は阿波岩倉城主三好式部少輔に謀殺された。その後、この地は阿波を制した長宗我部元親と讃岐十河城主十河在保との主戦場となった。

 天正15年、讃岐一国の領主となった生駒親正が城主となった。親正は讃岐一国の治府としては東に偏りすぎているため、聖通寺城へ居城を移し、天正16年には高松城の築城を開始した。引田城はその後も生駒氏の持城であったが、元和の一国一城令により破却された。


お城へのアクセス
鉄 道: JR高徳線引田駅〜徒歩約15分(登城口)
 車 : 高松道引田IC〜国道11号線〜市道
駐車場: 城山公園、田の浦キャンプ場前の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
引田港を見下ろす総石垣?のお城。

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