讃岐 高松城


お城のデータ
所在地 香川県高松市玉藻町
遺 構 天守台、櫓、曲輪、石垣、堀
形 式 平城(海城) 築城者: 生駒親正 築城年代: 天正15年


見 ど こ ろ
 高松城(玉藻公園)を訪れると、潮の香りが漂っている。城の北側は海に面し、残り三方の堀には海水を引き入れた日本三大水城の一つだ。

 堀が海とつながっているため、潮の干満による水位調整のための水門があるのも、海城ならではの遺構だ。(高松駅側から玉藻公園に入るとすぐに水門の遺構がある。)

 高松城の天守台にかつて「南蛮造り」と呼ばれる三層四階の天守があった。高松市ではこの天守の復元を計画しているとか。

 松平氏によって東の丸が増築された時に築かれた三層の月見櫓・続櫓・水手門・渡櫓が高松港のすぐ側に残っている。かつては石垣が海の波に洗われていた。

 今は太鼓櫓の跡に均整のとれた三層三階の艮櫓が移築されている。東の丸の石垣が、県民ホールから歴史博物館にかけて残っていて、ここに艮櫓の櫓台も残っていた。


歴     史
 高松城は、天正15年に生駒親正によって築かれた。親正は、讃岐一国173,000石を豊臣秀吉から賜り、播磨赤穂から入封、瀬戸内海の水軍の要として、この地に海に浮かぶ高松城を築いた。生駒氏は4代高俊の時、生駒騒動のために出羽矢島1万石に左遷される。

 寛永11年、水戸城主徳川光圀の兄松平頼重が常陸下館より東讃岐120,000万石で入封した。頼重は、生駒氏時代の高松城を更に拡張し、2代頼常(光圀の子、頼重養子)まで工事は続いた。高松松平氏による拡張は、北の丸・東の丸・新曲輪等が増築された。この時、『南蛮造り』の三層五階の天守が完成した。

 高松松平氏(水戸支流)は、初代頼重から最後の城主11代頼聡まで、代々西国大名の監視と瀬戸内海の要としての役目を担っていた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR予讃本線高松駅〜徒歩300m
 車 : 高松道高松西IC〜国道32号線〜国道11号線
駐車場: 玉藻公園周辺の有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
日本三大海城にも数えられ、石垣を今でも海水が洗うお城。

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