羽後 矢島城


お城のデータ
所在地 秋田県由利本荘市矢島町矢島町
遺 構 曲輪、土塁、石垣、堀
形 式 平山城 築城者: 大井氏 築城年代: 応仁年間


見 ど こ ろ
 矢島城は、八森城とも呼ばれ戦国時代からの中世城郭、その一部を利用して江戸時代の生駒氏の陣屋と利用された。

 城は、八森山と呼ばれる舌状台地上に築かれ、現在の矢島小学校と護国神社・矢島神社の境内となっている一帯に築かれていた。中世城郭の趣は余り見られず、生駒時代の矢島陣屋としての遺構が良く残り、小学校の校門前両側の水堀、矢島支所へ西側から登る坂道脇には表門の石垣が残っている。 


歴     史
 矢島城は、応仁年間に大井氏によって築かれた。慶長5年、関ヶ原の戦功により由利郡が最上氏の所領となると、本荘城主楯岡満茂の弟満広が3,000石を領して城主となった。

 元和8年、最上義俊改易となり、由利十二頭の一人打越氏が3,000石を与えられ入るが、寛文12年に打越光久が継嗣なく断絶となった。

 寛永17年、生駒騒動により改易となった讃岐高松城主生駒高俊は、矢島1万石を堪忍料として与えられた。万治2年、2代高清が弟俊明に羽後伊勢居地2,000石を分知し、矢島生駒氏は8,000石の江戸詰交代寄合表御礼衆となった。安永9年、8代生駒親睦が国入りを許され、以後交代寄合とて参勤交代を行った。

 幕末、13代親敬は戊辰戦争では官軍に与したため、庄内藩兵に攻められ陣屋を自焼して退去した。明治新政府成立後の石直しにより生駒氏は15,000石となり諸侯に復した。


お城へのアクセス
鉄 道: 由利高原鉄道矢島駅〜徒歩約10分
 車 : 日本海東北道本荘IC〜国道108号線
駐車場: 矢島支所前町営駐車場を利用


ひとくち MEMO
讃岐の太守生駒氏改易後の堪忍領として治めた陣屋。

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