周防 中津居館



お城のデータ
所在地 山口県岩国市楠町3丁目
遺 構 曲輪、土塁、石垣
形 式 居館 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 土塁線上築かれた古い石垣 )
 中津居館は、錦帯橋の架かる錦川が河口近くで今津川と門前川に分流する三角州を利用して築かれている。楠町3丁目の専念寺・佛性寺・萬行寺に囲まれた住宅地・畑地一帯が居館跡だ。

 中津居館は、東西約140m×南北約170mのやや台形をした方形居館形式となっている。山口の大内氏館築山館と匹敵するような規模の居館だが、発掘調査により堀の遺構は確認されていない。

 居館の周囲を囲繞していた土塁は、随所に残存していて土塁上には民家が建てられている個所もある。また、北西隅には高さ約4m程あり、河川堤防の意味合いもある土塁であるとか。


歴     史
( 土塁の上に建つ民家 )
 中津居館は、築城年代や築城者については定かではないが、室町時代に岩国地域で勢力を誇った弘中氏の居館と考えられている。

 弘中氏は、鎌倉時代から岩国の地を領し白崎八幡宮の大宮司を兼ね、室町時代になると大内氏の重臣となっている。天文20年、陶晴賢が大内義隆に謀反した天寧寺の変では弘中隆包は陶晴賢に与し、天文24年の毛利氏との厳島の合戦では大内・陶方として出陣して討ち死にした。

 弘中氏滅亡後、弘治元年には毛利方に与した加陽和泉守(賀屋武頼)が一時居館とし、吉川元春が宿陣するなどしている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陽本線岩国駅〜楠町供用会館
 車 : 山陽道岩国IC〜国道2号線〜国道168号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
大内氏の重臣弘中氏の居館と推定されている大規模な中世城館。

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