周防 築山館


お城のデータ
所在地 山口市山口市上堅小路
遺 構 曲輪、土塁、庭石
形 式 居館 築城者: 大内義弘 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ
 大内義弘以降、歴代当主の居館であった築山館は、現在の築山神社・八坂神社境内と神社東側と北側の住宅地一帯が城域であったとか。

 館の周囲に土塁(築地)を廻らしてあったが、現在では築山神社社殿の西側と北側に僅かに残っている。この土塁も往時のままの姿ではなく、資料に拠れば築地外面は大石を積み上げてあったとか。この石垣は、幕末に毛利氏が萩から山口に移った際、山口城の石垣に運び去ったあと、土を掻き上げて今の姿となったようだ。


歴     史
 築山館は、山口に居館を移した大内弘世の子義弘によって別館として築かれた。弘世の代には周防一国の守護であったが、義弘の代になると周防・長門・豊前・筑前の守護となり、大内氏館(大殿大路)が手狭になったため、これに対応するために築かれ、単に別邸と云うわけではなかった。

 天文20年、重臣陶隆房が大内氏の重臣杉重知・内藤興盛らを味方にひきいれて謀反を起こし、山口築山館に大内義隆を襲った。義隆は山口を逃れて長門国美祢郡岩永へ落ち延び、長門深川の大寧寺にて自刃した。

 弘治3年、陶晴賢によって擁立された大内義長(大友義鎮の弟)は、毛利元就によって攻められ、長府の長福寺にて自刃し、ここに大内氏は完全に滅亡。防長両国は毛利氏の所領となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山口線山口駅〜バス/五重塔入口
 車 : 中国道山口IC〜国道262号線〜国道9号線/上竪小路
駐車場: 龍福寺山門前の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
西国一の戦国大名大内氏の居館。

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