駿河 戸倉城


お城のデータ
所在地 静岡県駿東郡清水町下徳倉
遺 構 曲輪、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 北条氏綱 築城年代: 戦国時代


見 ど こ ろ
 戸倉城は、現在は駿河国に属しているが戦国時代には伊豆国であった。(狩野川が伊豆・駿河の国境であったため、氾濫して流路が変わるたびに伊豆国になったり駿河国になったりした。) そんな狩野川が、柿田川と合流点付近で「U」字方に大きく湾曲して流れるところにある独立丘陵本城山に築かれた城だ。 

 戸倉城は、山頂部に本丸を置き、東側に袖曲輪・東側尾根に東曲輪を配し、同様に、南と北西に伸びる尾根筋にも曲輪群を配置した縄張りとなっている。本丸部分が公園として整備されているが、その他の曲輪群はブッシュに覆われて、遺構の確認は甚だ難し状態であった。居館跡は、本丸から北西に延びる尾根筋の南麓に設けられていたが、現在では住宅地となっていて遺構は何も残っていない。


歴     史
 戸倉城は、戦国時代に北条氏綱によって築かれたと云われ、駿河・伊豆国境防衛のための支城であった。永禄12年、掛川城を徳川家康によって追われた今川氏真は北条氏康を頼り、この戸倉城に身を寄せた。この年北条氏堯が戸倉城主となった。

 天正9年、武田勝頼は城代笠原範貞を内応させたため、城主北条氏堯は戸倉城を退去し、武田方の伊豆攻略の拠点の一つとなった。天正10年、武田勝頼滅亡後、再度北条氏の持城となったが、天正18年に小田原城の落城と共に戸倉城も廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線・東海道新幹線三島駅〜バス/下徳倉
 車 : 東名沼津IC〜国道246号線〜国道1号線〜県道144号線
駐車場: 本城山公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
北条氏の駿河・伊豆国境防衛のための支城。現在は駿河国だが戦国時代は伊豆国、狩野川が氾濫し流路を替えるたびに伊豆になったり駿河になったり・・・。

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