周防 勝栄寺


お城のデータ
所在地 山口県周南市中央町
遺 構 曲輪、土塁
形 式 城郭寺院 築城者: 陶 弘政 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 勝栄寺のある富田津は、中世の瀬戸内海の主要港の一つで対明貿易の大船の停泊する港であった。この為、勝栄寺は合戦時には陶氏の居館防衛のための砦としても利用したと考えられている。寺の境内を囲繞するように土塁と堀が築かれいたことも納得できる。現在では勝栄寺を囲繞していた堀は埋められ、境内の北から西にかけて高さ約2m程の土塁が残っていた。

 毛利元就が勝栄寺で三子に宛てた教訓状(三矢の訓)を書き記した伝えられ、山門脇に「教訓状発祥の地」の石碑が建てられていた。


歴     史
 勝栄寺は、南北朝時代の正平年間〜天授年間に其阿上人を開山として陶弘政によって建立された。弘政は、大内弘世に従って鷲頭氏攻めの際に吉敷郡陶から周防富田へと居館を移している。

 弘治元年に厳島合戦で陶晴賢を自刃させ大内氏所領防長二国を手中に収めた毛利元就は、弘治3年に嫡男隆元と共に勝栄寺に本陣を置いて、大内氏の残党を鎮圧している。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陽本線新南陽駅〜徒歩約5分
 車 : 山陽道徳山東IC〜国道2号線〜県道3号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
毛利元就が三矢の訓を書き記したと伝えられている陶氏の菩提寺。

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