武蔵 高坂氏館


お城のデータ
所在地 埼玉県東松山市高坂
遺 構 曲輪、土塁
形 式 居館 築城者: 高坂刑部 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
( 高済寺境内西側に残る土塁 )
 高坂氏館は、都幾川左岸の高坂台地東北端に位置し、北から東にかけて台地崖となった地形を利用して築かれている。崖に面していない西側と南側に土塁と空堀を設けた縄張り、現在高済寺境内の西側に分厚い土塁の遺構が良く残っている。

 家康移封後に加賀爪氏が高代氏館を陣屋として利用していることから、当然加賀爪氏によって土塁や堀が修復されていると思える。尚、高済寺は加賀爪氏の菩提寺でもある。

歴     史
 高坂氏館は、南北朝時代に高坂刑部によって築かれた。高坂氏は秩父氏の一族で古くからの在地豪族で、戦国時代になると高坂氏は北条氏に従った。永禄5年に松山城攻めに際して北条氏康が在陣していることからも戦国時代には城郭として拡張整備されたと考えられている。

 天正18年に徳川家康が関東へ移封されると、旗本加賀爪政尚が武蔵高代他で2,000石を与えられ高代館を陣屋としている。加賀爪氏は、政尚−忠澄−直澄と続き代々加増を重ねて、寛文8年に加増されて直澄は13,000石を領して大名に列した。(武蔵高代藩)


お城へのアクセス
鉄 道: 東武東上線高坂駅〜徒歩約10分
 車 : 関越道東松山IC〜国道254号線〜国道407号線
駐車場: 高済寺の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
北条氏康も陣をはった居館が江戸時代には大名の陣屋に・・・。

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