摂津 蒲公英城


お城のデータ
所在地 兵庫県神戸市北区道場町日下部
遺 構 曲輪、土塁、堀切
形 式 丘城 築城者: 赤松氏春 築城年代: 正平15年頃


見 ど こ ろ
 蒲公英城は、道場城・松原城とも呼ばれ、神鉄道場駅東側にある小高い丘に築かれている。現在、宅地開発されることになり鬱蒼としていた木々も切り払われて発掘調査が行われていた。

 蒲公英城は、南を流れる有野川が城の東側で有馬川と合流点に突き出した丘の山頂部に本丸を置き、西側に空堀を隔てて馬蹄形をした西の丸、東側に民家敷地となっていた東の丸を置き、本丸南側と西の丸北側にそれぞれ帯曲輪を配した縄張りで、本丸・西の丸には土塁の遺構が良く残っていた。


歴     史
 蒲公英城は、正平15年頃に赤松氏範によって築かれ、氏範の子氏春を城主としたと云われている。氏範父子は、永徳3年に播磨清水寺にて敗死し、蒲公英城もしばらく廃城となっていた。

 応仁の乱で赤松政則に従って戦功を挙げた松原貞基が有野荘・生瀬荘等を賜り蒲公英城を居城とした。その後、松原氏は有馬郡の有力豪族として貞基−義貞−家久−家長−義富と120年間続いた。

 永禄3年に家督を継いだ義富は、天正6年に三木城主別所長治が織田氏に叛旗を翻すと別所方として活躍したが、翌年に蒲公英城は秀吉勢に攻められ落城した。


お城へのアクセス
鉄 道: 神戸電鉄三田線神鉄道場駅〜徒歩約5分
 車 : 中国道西宮北IC〜国道176号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
宅地開発で消滅する運命にあるお城。

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