播磨 三木城


お城のデータ
所在地 兵庫県三木市上の丸町
遺 構 曲輪、空堀、模擬城壁
形 式 平山城 築城者: 別所則治 築城年代: 明応元年


見 ど こ ろ
( 本丸の模擬城壁 )
( 本丸西側の堀切跡 )
 三木城は、中世播磨では御着城英賀城とともに播磨三大城のひとつに数えられ、秀吉の攻撃を2年にも渡って耐え抜いた。堅城三木城も、今では上の丸(本丸)が「上の丸公園」として僅かに往時の姿を今に伝えている。

 三木城は、上の丸駅のすぐ南側にある丘陵一帯に築かれている。公園となっているのは本丸部分だけだが、今は住宅地となっている丘陵一帯を散策すると、随所に城の面影がいまでも残っている。公園内部には、天守跡には別所長治の辞世の句を刻んだ石碑が建つ。 


歴     史
( 歴史資料館前の城石碑 )
 明応元年、別所則治が釜山城を修築して以来、別所氏代々の居城となる。天正5年に織田信長は、羽柴秀吉を播磨攻略を命じた。この時の別所氏の当主長治は、当初東播磨の旗頭として参陣する。しかし、長治は秀吉の言葉に面目を失った結果、毛利氏に通じ反旗を掲げる。
 
 天正6年、秀吉は三木城攻めを開始するがなかなか落城させられず、天正8年まで三木城の周囲に30数ヶ所もの付城を築き、三木城を兵糧攻めは続く。ついに、別所長治は城兵の命と引き替えに自刃して三木城を開城した。城は三木氏滅亡後も存続するが、元和3年に明石城が築城されたときに廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 神戸電鉄粟生線上の丸駅〜徒歩約10分
 車 : 山陽道三木小野IC〜国道175号線〜県道20号線
駐車場: みき歴史資料館の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
3年に籠城戦を続け兵糧攻めにされた三木氏の居城。

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