伊賀 田矢伊予守城


お城のデータ
所在地 三重県伊賀市河合字城
遺 構 曲輪、土塁、空堀、石垣
形 式 丘城 築城者: 田矢伊予守 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ
 田矢伊予守城は、大江山丘陵の南北の稜線上に築かれた城だ。城の東側麓にある引接寺へ細い参道の登り道脇に田矢伊予守城の案内板がある。

 田矢伊予守城は、全く未整備状態で竹藪と雑木林の中に埋もれていて全容を見るのは難しいが、公民館脇にある墓地から車道を少し西に上ると民家手前から主郭へ薄いが登城道がある。 

 主郭は、ほぼ方形で東と南に虎口があり、虎口の脇辺りに石垣の遺構が残っていた。主郭西側の土塁は、土塁上に更に土塁が築かれ櫓台とも云える構造になっている。竹藪のため見通しはきかないが、主郭以外の北の曲輪群、南の曲輪群も保存状態は非常に良く、竹や雑木を切り倒して城本来の姿を是非見てみたい城の一つだった。


歴     史
 田矢伊予守城は、室町時代に田矢伊予守によって築かれた。天正の頃、伊賀評定衆12家の一人で田矢掃部介が城主であった。 

 天正9年、織田信長の伊賀平定が始まると、近江日野城主蒲生氏郷が玉滝口より伊賀に進攻、河合七郷の土豪らは田矢伊予守城へ集まり抗戦したが多勢の攻撃により落城した。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR関西本線伊賀上野駅、近鉄伊賀線上野市駅〜バス/上川合
 車 : 名阪国道壬生野IC〜県道679号線〜県道673号線〜市道
駐車場: 引接寺参拝者用の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
竹や雑木を切り倒して城本来の姿を是非見てみたい城。

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