近江 日野中野城


お城のデータ
所在地 滋賀県蒲生郡日野町西大路
遺 構 曲輪、石垣、堀
形 式 平城 築城者: 蒲生高郷・定秀 築城年代: 大永年間


見 ど こ ろ
 中野城は、かつては本丸を中心に幾つもの郭からなる大城郭であっただろうが、今では日野川ダムの底に遺構の殆どが沈んでしまっている。ダム湖に面して旅館と駐車場なっている辺りが本丸で、本丸大手虎口跡付近に立派な石碑が建てられている。

 旅館背後に残る高土塁と空堀の一部が残されていて、四方を土塁で囲まれ、三方に空堀が掘られていた。北の土橋を渡った一角が仁正寺陣屋跡で陣屋の案内板と石碑があった。


歴     史
 中野城、大永年間に蒲生高郷によって音羽城の砦(支城)として築かれ、その後蒲生定秀が、天文2年に音羽城に替わる本城として本格的に築城し、定秀−賢秀−氏郷と三代に渡って蒲生氏6万石の居城となった。
 
 天正10年、本能寺の変で織田信長が討たれた時、安土城二の丸を預かっていた蒲生賢秀は、信長の妻妾一族を中野城へと移し、明智光秀を迎え撃とうとした。

 天正12年、豊臣秀吉の命により蒲生氏郷は伊勢松ヶ島へと移封となった。その後、田中吉政・長束正家が城代となったが、慶長8年に廃城となった。元和6年、市橋長政が仁正寺2万石で入封し、中野城の一郭に仁正寺陣屋を構えた。


お城へのアクセス
鉄 道: 近江鉄道近江線日野駅〜バス/仲出
 車 : 東名竜王IC〜国道477号線
駐車場: 日野川ダム公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
蒲生氏郷の生まれ育った蒲生氏の本城。

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