近江 安土城


お城のデータ
所在地 滋賀県近江八幡市安土町下豊原
遺 構 天守台、曲輪、石垣、堀、井戸
形 式 平山城 築城者: 織田信長 築城年代: 天正4年


見 ど こ ろ
 大手道の石段が一直線に山の上へと伸びている。如何に敵の侵入を防ぐか、これが城本来の機能であるが、この安土城だけは城主織田信長の思想からか?この大手道だけみても、他に類を見ない独創的な縄張りを持つ城なのだ。

 大手道の両側を伝豊臣秀吉邸跡、伝前田利家邸跡などの幾つもの曲輪群がを固めている。秀吉・利家邸は発掘・整備され、2001年3月に復元なった利家邸の高石垣、そしてその石垣上には隅櫓が建てられていたのであろう。大手道最初の防衛ラインだ。

 大手道を登り詰めると、左折して七曲がりの道を登り織田信忠邸跡を経て、黒金門跡から二の丸へと至る。築城当時は、大手道を上り詰めて右折して二の丸へと登るルートが本道であった。今はこのルートは立入禁止になっているが、このルートを守る曲輪が各所にあり苔むした石垣が山中に残っていた。

 二の丸には、豊臣秀吉が建てた信長廟がある。近くには織田信雄以下大和松山(別名:秋山城)城主だった5代の墓もあり、江戸時代は柏原藩(織田氏)が手厚く保護していたとか。

 本丸の天守台は、穴蔵部分に天守閣の礎石が整然と並び、この天守の壮大さうかがえる。ここにどんな天守が建てられていたのであろうか?五層七重の天守、その想像するだけで何故かわくわくしてくる。

 天守の姿には諸説があるようだが、安土城から車で5分(東海道線を挟んで反対側)の「信長の館」に天守閣の最上階部分が復元されている。また、安土駅前の資料館には、天守閣の模型がある。天守台に立って想像したあなたの天守像と比べてみてはいかがか・・・


歴     史
 織田信長が、丹羽長秀を総奉行に天正4年から安土山に築城を始め、天正7年に五層七階の天守閣を中心とした本丸、二の丸、三の丸などの諸郭が完成した。

 天正10年、信長は本能寺で明智光秀の謀反のために自刃する。山崎の合戦で明智光秀が敗れると、安土城に入っていた明智秀満は坂本城へ引き上げた。

 このあと織田信雄が安土城に入ったが、明智残党の掃討のため城下に放火。この火は、城にまで燃え広がり、天守閣も焼け落ちてしまった。完成後わずか3年のことである


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線線安土駅〜徒歩約20分
 車 : 名神高速龍王IC〜国道471号線〜県道2号線
駐車場: 大手道前に無料駐車場あり(お花見シーズン有料)


ひとくち MEMO
  • 安土城は、「総持寺の境内」となっているため、あちこちに立ち入り禁止区域がある。禁止区域内にも城の遺構は数々残っているが、お城ファンの良識に従って探索していただきたい。

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