大手道の石段が一直線に山の上へと伸びている。如何に敵の侵入を防ぐか、これが城本来の機能であるが、この安土城だけは城主織田信長の思想からか?この大手道だけみても、他に類を見ない独創的な縄張りを持つ城なのだ。
大手道の両側を伝豊臣秀吉邸跡、伝前田利家邸跡などの幾つもの曲輪群がを固めている。秀吉・利家邸は発掘・整備され、2001年3月に復元なった利家邸の高石垣、そしてその石垣上には隅櫓が建てられていたのであろう。大手道最初の防衛ラインだ。
大手道を登り詰めると、左折して七曲がりの道を登り織田信忠邸跡を経て、黒金門跡から二の丸へと至る。築城当時は、大手道を上り詰めて右折して二の丸へと登るルートが本道であった。今はこのルートは立入禁止になっているが、このルートを守る曲輪が各所にあり苔むした石垣が山中に残っていた。
二の丸には、豊臣秀吉が建てた信長廟がある。近くには織田信雄以下大和松山城主だった五代の墓もあり、江戸時代は柏原藩(織田氏)が手厚く保護していたとか。
本丸の天守台は、穴蔵部分に天守閣の礎石が整然と並び、この天守の壮大さうかがえる。ここにどんな天守が建てられていたのであろうか?五層七重の天守、その想像するだけで何故かわくわくしてくる。
天守の姿には諸説があるようだが、安土城から車で5分(東海道線を挟んで反対側)の「信長の館」に天守閣の最上階部分が復元されている。また、安土駅前の資料館には、天守閣の模型がある。天守台に立って想像したあなたの天守像と比べてみてはいかがか・・・ |