備前 富田松山城


お城のデータ
所在地 岡山県備前市東片上
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 浦上氏 築城年代: 文明年間


見 ど こ ろ
 富田松山城は、比高200mの富田松山山頂に築かれている。山頂まで要所に道標が整備され、道に迷うことはなが登りはかなりきつい。約30分程で東出丸に着く。ここからの眺めは絶品。汗を流し、息絶え絶えになりながら登ってきた疲れが、一瞬にして吹き飛んでしまう。

 富田松山城は、輪郭式縄張りの城で山頂部に本丸を置き、北に二の丸と大手曲輪、南に三の丸と搦手曲輪がある。

 城の遺構は、険しい山の山頂部に築かれていたこのとあり非常に良く残っている。本丸の周囲には土塁が完存、大手曲輪虎口には石垣が僅かに残っている。また、搦手(東出丸から来る道)には堀切が見事に残っている。どの曲輪も下草が刈られ綺麗に整備され、「城跡ハイキング」にはもってこいの城だ。


歴     史
(現地案内板より)
 富田松山城は、文明年間に三石城を拠点にしていた浦上氏によって、備前焼の出荷港片上港を押さえるために築かれた。

 享禄4年、西播磨・東備前を領して戦国大名となった浦上村宗が死ぬと遺領は3分され、村宗の3男浦上国秀が富田松山城主となり、城を本格的な城郭に改修した。

 国秀は、浦上氏(室津城主)当主の長兄政宗に攻められて降伏するが、後嫡流家の勢力が弱まると次兄宗景(天神山城主)に従った。

 天正15年、備前をほぼ平定した宇喜多直家は、浦上宗景を天神山城に攻めて浦上氏を滅ぼす。この時、浦上景行が城主であった富田松山城も攻められ落城し、天神山城共々廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR赤穂線備前片上駅〜徒歩約15分(登り口)
 車 : 山陽道備前IC〜国道2号線
駐車場: なし。(品川白煉瓦グランド脇に約10程度の駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
円錐形の山、登りはキツイが山頂からの眺めは片上湾を見下ろせて最高。
  • 富田松山城の登城口
    JR備前片上駅から南に向かってともかく直進約600m。富田松山の東麓にある品川白煉瓦グランド脇(大渕橋詰)に縄張り図のある案内板があり、ここから橋を渡って約50m先を左手の道へ。この道が登城道。要所毎に道しるべがあるので迷うことなく山頂に登れる。

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