遠江 一宮城


お城のデータ
所在地 静岡県周智郡森町一宮
遺 構 曲輪、土塁、堀切、横堀
形 式 山城 築城者: 武藤氏定 築城年代: 永禄11年


見 ど こ ろ
 一宮城は、真田山城とも呼ばれ、遠江一宮小国神社と宮川を挟んで南側に南北にのびる丘陵の南側ピークを利用して築かれている。

 一宮城の縄張りは、南流する宮川を天然の堀とし、丘陵のピークに主郭を置いて、西に伸びる尾根筋にも6段の段曲輪を設けている。主郭の北に連なる尾根筋は堀切で遮断し、東側と西側には横堀を構築して防備を固めている。また、主郭虎口には竪土塁を伴うクランクと形状をしている。これらの横堀や堀切、虎口の形式などは、武田氏の修築による遺構だと思われ、主郭周囲の遺構はどれも見応えのあるものだった。


歴     史
 一宮城は、永禄11年に武藤氏定によって築かれたと考えられている。武藤氏は、一宮荘の地頭で草ヶ谷館に居住して遠江一宮小国神社神主を兼ねていた。遠江守護安田義定の五奉行の一人として遠江目代武藤頼高の名が伝わる。

 戦国時代、武藤氏定は今川氏に従っていたが永禄11年に武田信玄が駿河・遠江へと侵攻すると武田方に与し小国一宮社の前山に築城した。

 しかし、徳川家康によって一宮荘が攻められると一時甲斐へと逃れた。元亀3年には武田氏の遠州攻略により当地に戻ったが、武田信玄が病死すると形勢が変わり、天正9年に武藤氏定は高天神城の戦いで討死した。


お城へのアクセス
鉄 道: 天竜浜名湖線遠江一宮駅〜徒歩約40分
 車 : 新東名遠州森町SIC〜県道40号線〜県道280号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
主郭周りには武田氏の縄張りが色濃く残るお城。

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