越前 敦賀城


お城のデータ
所在地 福井県敦賀市結城町
遺 構 移築門
形 式 平城 築城者: 天正11年 築城年代: 蜂屋頼隆


見 ど こ ろ
 大谷吉継の居城として知られている敦賀城は、今では市街地化して全くその姿を消してしまっている。結城町の真願寺一帯から南側の敦賀西小学校辺りまでが城域であろうと言われている。小学校内と真願寺前に敦賀城趾の石碑がある。

 敦賀城の遺構としては、真願寺の乾門の礎石と来迎寺表門に敦賀城裏門が移築されている。また、八幡神社の境内に表門の礎石が展示されている。残念なことに、事前の下調べが不十分で小学校の石碑なども見逃してしまった。   


歴     史
 天正3年、織田信長は越前を平定し敦賀郡代に武藤宗右衛門を命じ、本能寺の変で信長が死去すると、天正11年に蜂屋頼隆が敦賀5万石の領主となった。頼隆は、それまでの武藤氏の花城山城を廃し、敦賀城を築城した。

 天正17年、蜂屋頼隆が九州遠征中に病没し、替わって大谷吉継が57,000石で入封した。慶長5年、関ヶ原で西軍に与した大谷吉継は、関ヶ原の戦場で討死し、戦後大谷氏は改易となった。大谷氏改易後、敦賀は福井城主結城(松平)秀康の所領となったが、元和の一国一城令で廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR北陸本線敦賀駅〜バス/市民病院前
 車 : 北陸道敦賀IC〜国道8号線〜県道県道22号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
石田三成の盟友、大谷吉継の居城だったお城。
  • 敦賀城城門の移築先
    来迎寺 福井県敦賀市松島

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