羽後 松山城


お城のデータ
所在地 山形県酒田市新屋敷
遺 構 曲輪、現存門、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 酒井忠休 築城年代: 天明元年


見 ど こ ろ
( 本丸御殿跡 )
( 本丸の土塁 )
 松山城は、最上川右岸に面した河岸段丘上に築かれている。以前訪れた時は高校の敷地となっていたが、歴史公園と整備され文化伝承館・松山城趾館が建てられていた。

 松山城は、本丸(文化伝承館・松山城趾館・駐車場)を中心として西側を除く三方を二の丸が取り込むように配置され、更に本丸・二の丸を東側を除く三方を三の丸が取り込むようように配した変則的な輪郭式の縄張りで、西にむけて開かれた大手口は馬出が設けられていた。

 城の遺構は市街地化により失われた部分が多いが、酒田の大富豪本間光丘が寄進した大手門(櫓門)が残っている以外にも松山の市街地を散策すると所々に標柱が立てられていて、本丸北側に土塁と堀の一部、三の丸南側の堀の一部である十三間堀などの遺構を見ることができる。


歴     史
( 十三間堀 )
 松山城は、天明元年に酒井忠休によって築かれた。正保4年、出羽庄内藩主酒井忠当の弟忠恒は、兄より2万石を分地され飽海郡松山に陣屋を構えた。

 3代忠休は、安政8年に西の丸若年寄となり5,000石を加増され格式も城主となった。これに伴い、天明元年から築城工事を始め7年の歳月をかけて完成した。松山酒井氏は、その後8代忠匡の時に明治を迎え、明治2年に松嶺と改称した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR羽越本線余目駅〜タクシー約10分
 車 : 山形道酒田IC〜国道47号線〜県道362号線
駐車場: 松山歴史公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
酒田の大富豪本間氏が寄進した大手門が残るお城。

山形県のお城
一覧表へ
トップページへ 酒田市のHPへ

北海道・東北のお城
北海道青森県岩手県秋田県宮城県山形県福島県