河内 若江城


お城のデータ
所在地 大阪市東大阪市若江南2丁目
遺 構 なし
形 式 平城 築城者: 畠山基国 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 応仁の乱の原因ともなった畠山氏の相続争いに始まり、信長の石山本願寺攻めまで、幾多の戦乱の舞台となった若江城。

 しかし、現在では見る影もなく、若江公民館と道路を挟んで向にそれぞれ若江城の石碑が建てられてるだけだ。案内板によると、発掘調査の結果、二重の堀や土塁が確認されたとか。 


歴     史
 若江城は、南北朝時代に高屋城主河内守護畠山基国によって築かれ、守護代遊佐氏が城主となった。宝暦2年に畠山持国の相続をめぐって実子義就と養子政長が争い、これが応仁の乱へと発展した。

 若江城は、若江氏・堀江氏・山田氏と城主が変遷し、その後三好氏の持城となっていた。永禄11年に畿内平定を果たした織田信長は、河内北半国を三好義継に安堵し若江城主とした。天正元年、足利義昭を追放した信長は義昭に与した三好義継を若江城に攻め、義継を自刃させた。

 天正4年から始まる信長による石山本願寺攻めの拠点として若江城は使用されたが、本願寺開城・退去後の天正8年頃に廃城となった。 


お城へのアクセス
鉄 道: 近鉄奈良線若江岩田駅〜徒歩約15分
 車 : 近畿道荒本IC〜府道2号線〜府道24号線
駐車場: 若江公民館の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
戦国時代の河内でいつも戦乱の舞台となったお城。

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