越後 渡部城


お城のデータ
所在地 新潟県燕市渡部字柳場
遺 構 曲輪、堀切
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 渡部城は、信濃川大河津分水路に架かる渡部橋左詰の背後にある独立丘に築かれて、道路沿いに縄張り図のある案内板がたてられいるのですぐ分かる。

 渡部城の縄張りは、山頂部にある現在の菅原神社の境内となっているところが二の丸、社殿背後の石段を登ると円筒形をした本丸だ。この主郭部を中心に同心円的に段曲輪があり、南と西に伸びる尾根筋に向かって段曲輪・堀切が設けられている。もっとも東の川沿いから神社に至る参道と神社境内以外はブッシュ・雑木・竹藪に覆われ遺構確認が十分できる状態ではなかった。


歴     史
 渡部城は、築城年代や築城者については定かでないが、永正4年の永正の乱には夏戸城主志駄春義が在城していた。天正7年の御館の乱では三条城主神餘親綱が黒滝城と共に攻めたが黒滝城代山岸秀能がこれを撃退している。

 慶長2年、堀秀治が春日山城主となると渡部城には重臣柴田勝全が13,000石を領して入城するが、慶長7年後勝全は主君堀氏との不和により退転して、渡部城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR越後線分水駅〜バス/渡部入口
 車 : 北陸道三条燕IC〜県道18号線〜県道549号線
駐車場: なし(菅原神社参道入口付近に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
黒滝城の支城として寺泊への押さえとして機能していたお城。

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