磐城 亘理城


お城のデータ
所在地 宮城県亘理郡亘理町亘理字旧館
遺 構 曲輪、堀、移築門
形 式 平山城 築城者: 亘理元宗 築城年代: 天正年間


見 ど こ ろ
( 常因寺山門 )
 亘理城は、元和の一国一城令後も亘理要害と呼ばれ明治まで存続した城で、亘理丘陵から東にに向かって突きだした半島状の丘陵先端部を利用して築かれている。

 現在、丘陵上の本丸が亘理神社の境内、西側の馬場とされている曲輪が亘理高校の敷地となっている。東側にあった二の丸他の曲輪群は市街地となり全く痕跡を留めていない。

 城の遺構は、常因寺と専念寺に城門が移築されて現存するほか本丸南下の内堀が公園内によく残っていた。 


歴     史
( 専念寺山門 )
 亘理城は、天正年間に亘理元宗によって築かれた。千葉常胤三男武石胤盛が建久元年に亘理・伊具・宇田3郡の地頭職を拝命し、暦応2年に武石広胤が居城の地名をとって武石から亘理に姓を改めた。

 亘理氏は、元宗-重宗と伊達氏に臣従して数々の戦いで戦功を挙げるが、天正19年に涌谷城へ所替えとなり、代わって信夫郡大森城より重臣片倉小十郎景綱が入城した。

 慶長6年、片倉氏が刈田郡白石城へ移り、伊達藤五郎成実が入城し、以後明治まで亘理伊達家の居城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR常磐線亘理駅〜徒歩約15分
 車 : 仙台東部道亘理IC〜国道6号線〜県道10号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
伊達の猛将藤五郎宗実の居城として明治まで存続していたお城。
  • 亘理城城門の移築先
    常因寺 宮城県亘理郡亘理町祝田100
    専念寺 宮城県亘理郡亘理町上町11

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