大和 柳生古城


お城のデータ
所在地 奈良県奈良市柳生町
遺 構 曲輪、土塁、堀切、横堀、石積み
形 式 山城 築城者: 柳生氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 三の曲輪南側の堀切 )
( 二の曲輪南側の堀切 )
 柳生古城は、柳生の里中心部を見下ろす要所古城山に築かれている。造り酒屋の東側にあるバス停背後の階段(剣塚・古城山の道標がある)から尾根筋を北に登る。

 柳生古城は、古城山山頂から南へと伸びる支尾根のピークを利用して築かれている。このピークに東屋が建てられている主郭を置き、主郭北側に櫓台の土塁が築かれている。現在は土塁上に剣塚が建てられていた。

 主郭から伸びる三方の尾根にそれぞれ曲輪が設けられている。北側は、古城山の山頂部から南に伸びる尾根筋を北の曲輪を挟んで二条の堀切で遮断して城域を確保している。東の尾根筋には四段の曲輪があるが、ここには堀切は設けられていない。

 南の緩やかな尾根筋は、二の曲輪と三の曲輪の間に築かれた堀切で尾根を完全に遮断、更に三の曲輪の南側にはクランク状に横堀と堀切を組み合わせた珍しい構造となっていて、見応えのある遺構であった。


歴     史
( 北の曲輪北側の堀切 )
 柳生古城は、築城年代は定かでないが柳生氏によって築かれた。戦国時代、須川城主簀川氏を中心に山中諸氏は、国中に勢力拡大を図る筒井城主筒井順昭に敵対する。

 天文13年に筒井順昭による山中諸氏攻略の際には、柳生城の前に筒井氏の大軍に攻められ落城した。柳生家巌・宗巌父子は、善戦するも柳生城も落城し、柳生父子は筒井氏に降った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR関西本線奈良駅、近鉄奈良線奈良駅〜バス/柳生
 車 : 西名阪道郡山IC〜国道24号線〜国道369号線
駐車場: 奈良市営の有料駐車場を利用


ひとくち MEMO
柳生本城の「北の要」となったお城。

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