大和 藤尾城


お城のデータ
所在地 奈良県奈良市下狭川町
遺 構 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切
形 式 山城 築城者: 狭川氏 築城年代: 戦国時代


見 ど こ ろ
 藤尾城は、下狭川と阪原とを結ぶ山道(往時の街道)を見下ろす尾根に連郭式に曲輪を配置した城だ。

 城の南側は、奈良柳生カントリークラブとなっていて、13番ホールのグリーン脇に石仏公園が作られいて、ここに藤尾城の案内板が建てられている。四の曲輪と五の曲輪は、盛土され保存されているが、盛土の上は13番グリーンとなっている。

 荒れたままの状態で整備されていないが、城の遺構はよく残されている。一の曲輪・二の曲輪・三の曲輪が残されているが、その曲輪の間にはそれぞれ空堀・横堀が設けられ、要所要所に竪堀も設けられている。規模は、小さいながらもなかなか見応えのある一城だ。


歴     史
 藤尾城は、戦国時代に下狭川城主狭川氏によって築かれた。天正3〜5年の間、狭川氏は松永久秀に与しており、敵対する筒井順慶に何時下狭川城を攻められてもおかしくない状態にあった。

 しかし、松永氏の支援は期待できず、阪原・大柳生方面からの筒井勢の侵攻に備えての城であった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR関西本線奈良駅、近鉄奈良線奈良駅〜バス/下狭川
 車 : 第二阪奈道路宝来IC〜国道369号線〜県道33号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
ゴルフ場に隣接した丘には戦国時代のお城が・・・。
  • 藤尾城への道しるべ
    下狭川城の南側にある馬場跡前から南に向けて、山道(コンクリート舗装された道)が奈良柳生CCまで続いている。この山道を馬場跡から南下、ゴルフ場手前左手にため池がある。ため池を挟んで西側の丘が藤尾城だ。山道沿いに色テープが巻き付けられた木があり、その場所から直登すればちょうど二の曲輪と三の曲輪の間にある堀切に着く。

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