下野 赤見城


お城のデータ
所在地 栃木県佐野市赤見町
遺 構 曲輪、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 足利俊綱 築城年代: 安元元年


見 ど こ ろ
 赤見城は、現在赤見幼稚園の敷地となっている。幼稚園の建設で南東部は消滅しているが、よれでも城の遺構は良く残ってる。

 赤見城は、本丸(幼稚園敷地)を中心に北側に北の丸・東に二の丸・南に三の丸を配置し、更にこれらの曲輪群を取り囲むように外曲輪を設けた縄張りであったとか。

 現在は、幼稚園の正門脇に石碑と標柱があり、ここから幼稚園の廻りに残る高さ4m程の土塁上に登ることが出来る。北側から西側に完存する土塁、その外側には水をたたえた堀が残り、更西側には三の丸の土塁の一部が残存しており、なかなか見応えのある一城であった。 


歴     史
 赤見城は、安元元年に藤姓足利俊綱によって築かれた。俊綱は、治承5年に志田義広が源頼朝に叛き兵を挙げた時、これに与して敗れ家臣桐生六郎に殺害された。

 建久元年、戸賀崎義宗が城主となり、以後戸賀崎氏(赤見氏)の居城となった。戦国時代の永禄2年に赤見伊賀守は唐沢山城主佐野泰綱に叛いたため、佐野氏に攻められ常陸に走った。

 以後、赤見城は唐沢山城佐野城の支城として足利方面を抑える支城となり、慶長19年の佐野氏改易により廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR両毛線佐野駅、東武鉄道佐野線佐野駅〜タクシー約15分
 車 : 東北道佐野藤岡IC〜国道50号線〜県道9号線〜県道237号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
幼稚園の廻りには土塁と空堀が今も巡っている・・・。

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