三河 足助城


お城のデータ
所在地 愛知県豊田市足助町真弓
遺 構 復元櫓、曲輪、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 鈴木氏 築城年代: 戦国時代


見 ど こ ろ
 本来の名前は「真弓山城」という。飯盛山城を本城に、真弓山城(足助城)・臼木ヶ峯城、大観音城城山城成瀬城、黍生(きびゅう)城と6支城が築かれ、これらの城を足助七城という。

 足助町では「足助城」として売り出し中。お城まで車で登れるし、駐車場も完備。戦国時代の山城に櫓や台所、柵、本丸高櫓などが発掘調査をもとに復元されている。観光化の論議はさておき、普段はブッシュをかき分け、熊ベル鳴らしながらの山城探訪だけに、山城の往時の姿をイメージするのに大いに手助けになる。

 城址公園として整備されているのは、足助城の主郭部分に過ぎない。主郭を中心に北・南・西のそれぞれの尾根筋には幾段もの削平地が配置され、北と西の尾根筋には堀切も残る。

 綺麗に復元された城だけで満足されない方には、特に西の尾根筋を探訪されると良い。ただし、「マムシ」にだけはご注意を。


歴     史
 足助城(真弓山城)は、足助氏築城と考えられていたが、築城年代は特定できないものの発掘調査の結果、足助鈴木氏によって戦国時代に築かれたと考えられる。

 足助鈴木氏は、忠親−重政−重直−信重−康重と5代続いた。鈴木氏は、三河岡崎城主松平清康(家康の祖父)に攻められ、松平氏に臣従する。

 元亀2年、武田信玄が上洛戦の前哨戦として奥三河に侵攻、足助城も落城した。信玄は下条信氏を城代としてこの城を守備させた。

 天正元年、信玄没後に徳川家康は、嫡男信康に命じて足助城を奪還させ、旧城主鈴木康重を足助城に置いた。天正18年、康重は徳川家康の関東移封に従って関東に移り、足助城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 名鉄三河線西中金〜名鉄バス/香嵐渓一の谷口
 車 : 東海環状道豊田松平IC〜県道39号線〜国道153号線
駐車場: 足助城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
戦国時代の山城が発掘調査に基づいて復元されているお城。

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