越後 福島城


お城のデータ
所在地 新潟県上越市港町
遺 構 なし
形 式 平城 築城者: 堀 秀治 築城年代: 慶長5年頃


見 ど こ ろ
 福島城は、関川と保倉川が日本海に注ぐ河口に位置し、両川が天然の堀の役目を果たした平城だ。築城からわずか7年で廃城となったは、河口に故に氾濫に悩まされたためとも云われている。

 往時の福島城は、石垣が囲繞した輪郭式の縄張りの城であったが、現在では本丸に位置する所に古城小学校が建てられ、二の丸・三の丸は工場と住宅地となっていて遺構は残っていない。発掘調査では大手門桝形の石垣、土塁の腰巻き石垣などが出土していて、その石垣の一部が小学校内にある福島城資料館脇にある石碑の土壇として組まれていた。


歴     史
 越後福島城は、慶長5年に堀秀治が上杉遺民一揆鎮圧した後に築城を開始した。慶長11年に秀治が没し、嫡男忠俊が若干12歳で家督を継ぎ、翌年に春日山城から福島城へ居城を移した。

 慶長13年に一族の三条城主堀直清と坂戸城主堀直竒との確執により堀忠俊は改易となった。家康は、六男松平忠輝に60万石を与えて福島城主とする。忠輝は、慶長19年に高田城を築いて移り福島城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR信越本線直江津駅〜バス/信越アパート前
 車 : 北陸道上越IC〜国道18号線〜国道350号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
わずか7年で廃城となってしまった石垣造りのお城。

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