越中 増山城


お城のデータ
所在地 富山県砺波市増山一の丸
遺 構 曲輪、土塁、竪堀、堀切、井戸
形 式 山城 築城者: 桃井氏 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 増山城は、和田川を堰き止めた和田川ダムによてできた増山湖の対岸に築かれている。城への登り口は、和田川ダムを渡った小公園からと増山湖を渡る増山大橋橋詰めからの2ヶ所から登る。どちらの登城道も七曲りのきつい道が続くが、約15分ほどで一の曲輪下の虎口にたどり着く。

 増山城は、城山全山に大小の曲輪を数多く築かれている。県指定史跡になっているものの、一の曲輪〜二の曲輪〜三の曲輪〜足軽屋敷へと至る遊歩道は整備はされているが、曲輪内部は全く未整備状態で、曲輪内の遺構は甚だ確認しづらい状態であった。


歴     史
 増山城は、南北朝時代に桃井氏によって築かれたと云われている。戦国時代、越中守護代として婦負・射水両郡に勢力を誇った神保氏歴代の居城となった。

 神保長職は、富山城を築いて勢力を東に拡大したが、越後春日山城主上杉謙信により追われ、増山城へ後退。その後、神保氏の勢力は衰え、上杉氏によって越中は制圧された。

 天正13年、富山城主佐々成政は、豊臣秀吉の越中征伐を受け降伏、礪波郡は前田利家の所領となり、増山城には中川清六・山崎庄兵衛が守将となった。その後、増山城は元和の一国一城令により廃城となった。
 


お城へのアクセス
鉄 道: JR城端線砺波駅〜バス/増山
 車 : 北陸道砺波IC〜国道359号線/頼成新〜県道239号線
駐車場: 和田川ダムの無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
越中守護代神保氏の居城、城山全山に大小の曲輪が数多くある山城。

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