越中 富山城


お城のデータ
所在地 富山県富山市本丸
遺 構 模擬天守、曲輪、石塁、堀
形 式 平城 築城者: 水越勝重 築城年代: 天文元年


見 ど こ ろ
 かつては、五層の天守(新発田城の天守と同様に3個の鯱が乗せられていた)、櫓3基、櫓門3ヶ所が建てられたという。また、石垣の上には本家金沢城と同様、唐破風付出格子がついた海鼠塀がめぐっていた。

 城跡は、現在城址公園となっている。本丸南側の堀と石垣、そして本丸枡形虎口の石垣上には、三層の模擬天守が建てられている。天守内部は、郷土博物館になっている。 

 前田利次による万治4年の大改修された時に築かれた天守台は、今は半壊しているがわずかにその痕跡を残している。高岡城の天守台を参考にしたと考えられる。また、城址公園内に三層の隅櫓風の建物があるが、ここは美術館ある。この脇の石垣もなかなかのものだ。


歴     史
 富山城は、天文元年に水越勝重によって築かれ、後に勝重は神保長職と名を改めた。その後神保氏が三代に渡って居城した。

 天正4年、越後春日山城主上杉謙信は富山城の神保氏を追い、家臣の小笠原長隆・上杉信定を置いた。
 
 天正7年、織田信長は越前小丸城主佐々成政を富山54万石封じた。成政は、城を改修し城下町の整備を行った。本能寺の変後の後継者争いで成政は反秀吉の立場をとるが、柴田勝家滅亡後に秀吉の軍門に降った。天正15年の豊臣秀吉の九州征伐後、成政は肥後熊本城へ転封になった。

 慶長5年の関ヶ原の戦功により金沢城主前田利長は、加賀・能登・越中の3ヶ国120万石を得た。慶長10年に利長は隠居して富山城に移るが、慶長14年に主要部の建物をことごとく焼失したため高岡城を築いて移った。

 寛永16年、3代前田利常は次男利次に10万石を与えて分家させた。利次は廃城と化していた富山城を修復、寛文元年に入城して富山藩が成立した。以後富山前田氏13代の居城として明治に至った。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR北陸本線富山駅〜富山地鉄丸の内・県庁前駅(路面電車)
 車 : 北陸道富山IC〜国道41号線
駐車場: 城址公園の有料駐車場を利用


ひとくち MEMO
路面電車で行くお城。

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