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( 本丸土橋北側の石垣) |
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( 本丸虎口付近の土塁 ) |
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( 本丸北東隅の土塁 ) |
高岡城は、庄川と小矢部川に挟まれた高岡台地上に築かれている。高岡城の堀は、庄川の伏流水が水源であるとか。
高岡城は、現在は古城公園となっていて、広大な方形の本丸(射水神社境内・本丸広場・児童公園)を置き、二の丸(市民会館)・鍛冶丸(博物館)・明丸(動物園)・三の丸(体育館)・小竹藪(広場)と本丸西側を除く三方を取り囲むように曲輪が配置されて、本丸の以外の曲輪は全て「馬出曲輪」となっている。
本丸の周囲を内堀が巡らされ、本丸を取り囲っむ曲輪群の外側に外堀が巡らされている。本丸西側は内堀だけだが、かつては内堀の西側には沼と湿地帯が広がっていたようだ。
高岡城は、慶長19年に前田利長が病死してしまったため、利長の隠居城であったため築城工事が中止になったと考えられ、ちょうど古城公園の無料駐車場あたりは堀跡であろう。背後が小竹藪曲輪で、切岸は完成しているが本丸側が未完成状態となっていることで、普請中止になったことがよくわかる。
曲輪以外の城の遺構は、二の丸と本丸の土橋部分には石垣が残り、曲輪の周囲には上幅が約5m程もあろう土塁が良く残っている。本丸に前田利長の銅像が、銅像の背後が高岡城天守台で富山城天守台とほぼ同じ大きさとか。また、本丸と三の丸(民部丸)には井戸の遺構が残っていた。 |