三河 深溝城


お城のデータ
所在地 愛知県額田郡幸田町深溝字城山
遺 構 移築門(陣屋)、土塁?
形 式 平城 築城者: 大庭氏 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
( 深溝陣屋門 )
 深溝城は、現在株式会社三協工作所の敷地となっていて、正門脇の道路沿いに石碑と案内板が建てられている。 

 駐車場辺りに土塁が残っているとのことであったが、土塁らしきものはあったが、これが土塁かどうか、今一つ確信が持てなかった。また、深溝陣屋の門が移築され現存している。


歴     史
 深溝城は、南北朝時代に大庭氏によって築かれた。その後、大永年間に松平忠定が大庭氏を討ち、十八松平の一つ深溝松平となった。以後、忠定−好景−伊忠−家忠と続き、天正18年に家康の関東移封に従って関東へと移った。

 慶長5年、松平家忠は伏見城を守って討死、その功により家忠の子忠利が墳墓の地深溝に移され1万石を領した。慶長17年、忠利は三河吉田へと移った。慶長19年、深溝は板倉重昌の所領となり、その後の加増もあり寛永元年に大名に列した。

 寛永15年、島原の乱にて重昌が討死した後、家督を嗣いだ重矩は寛永16年に三河中島へと移り、深溝に弟重直が分知され8千石を領して明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線三ヶ根駅〜徒歩約10分
 車 : 東名岡崎IC〜県道26号線〜国道248号線〜国道23号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
十八松平の一つ深溝松平氏の居城。
  • 深溝陣屋門の移築先
    民家 愛知県額田郡幸田町六栗本郷

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