山城 伏見城


お城のデータ
所在地 京都府京都市伏見区桃山御陵
遺 構 模擬天守、移築現存門、曲輪、堀、移築復元石垣
形 式 平山城 築城者: 豊臣秀吉 築城年代: 天正20年


見 ど こ ろ
( 模擬小天守 )
 伏見城本丸ほか城の中枢部は、明治天皇陵(桃山御陵)となっているため、現在では城跡を自由に散策することは出来ない。

 長束大蔵曲輪・御花畑に模擬天守が建てられいるが、本来の伏見城天守は二条城へ移築された。模擬天守の中は、資料館となっていて、秀吉築城の聚楽第の復元(推定)模型が展示されていた。

 模擬天守からは、今は鬱蒼と茂る木々に覆われた伏見城跡を一望出来る。また、近鉄桃山御陵前駅のすぐ側に御香宮神社の表門として伏見城大手門が今も残っている。 


歴     史
( 御香宮神社表門 )
( 福山城伏見櫓 )
 天正20年、豊臣秀吉は伏見に築城を命じ、文禄3年には伏見城(指月城)に移っている。しかし、文禄5年に発生した伏見大地震のため城は倒壊してしまう。

 秀吉は、指月城の北東に位置する木幡山に改めて再普請を行い慶長2年に完成した。(木幡山城)翌年8月、秀吉はこの城で没した。在城わずか4年であった。

 慶長5年、関ヶ原の前哨戦として西軍により、徳川家康の留守を預かる鳥居元忠が籠もる伏見城は、炎上し落城した。

 慶長7年から家康による復旧工事が開始され、慶長10年には完成をみる。伏見城は、徳川幕府の城として蘇った。しかし、元和9年、幕府は伏見城の廃城を決め、2年後の寛永2年までに城は完全に取り壊された。この時、建物は京都の社寺や大名に下付された。福山城伏見櫓(現存)、大坂城伏見櫓(戦災焼失)が有名。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR奈良線桃山駅、近鉄京都線桃山御陵前駅〜徒歩約20分
 車 : 名神高速京都南IC〜国道24号線〜市道
駐車場: キャッスルランドの有料駐車場を利用


ひとくち MEMO
伏見の町を散策すると大名屋敷のあった場所は今も地名として残っている。

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