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( 銅門番所 ) |
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( 本丸の高石垣 ) |
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( 模擬櫓 市立美術館 ) |
福知山城の前身は横山城と呼ばれ、戦国時代には小笠原氏の後裔塩見頼勝は居城していた。頼勝の嫡男頼氏は、城地に因んで横山氏と改称した。永禄8年に黒井城主赤井直正が横山城を攻めたが、横山方によって反撃により敗走している。
天正年間の横山城主は頼氏の子信房の代となっていたが、天正7年に丹波の大半を制圧した明智光秀に攻められ落城、城主横山信房は討死して横山氏は滅亡した。
織田信長より丹波を与えたれた光秀は、福知山の地が丹波・丹後・但馬を押さえる要の地として横山城の大改修を行い、明智秀満と藤木権兵衛を城代とした。
天正10年、山崎の合戦で明智光秀が敗れ敗死すると丹波は豊臣秀吉の領地となり、秀吉の正室寧々の叔父杉原家次が3万石を領して入るが天正12年に没した。
天正18年に小野木重勝が3万石で城主となる。慶長5年の関ヶ原の役で西軍に与し東軍の丹後田辺城の細川藤孝(幽斎)を攻めるが勅使による仲介により和睦する。西軍の敗北が決すると東軍の細川忠興は福知山城を攻め落とし、小野木重勝は丹波亀山にて切腹した。
慶長5年、有馬豊氏が8万石で遠江横須賀より入封する。元和7年に豊氏が筑後久留米に転封した後、城主は岡部・稲葉・松平氏と替わり、寛文9年に朽木稙昌が32,000石で常陸土浦から入封する。朽木氏は14代続いて明治に至った。 |