安芸 日野山城


お城のデータ
所在地 広島県山県郡北広島町新庄
遺 構 曲輪、土塁、石垣、堀切、井戸
形 式 山城 築城者: 吉川元春 築城年代: 天文19年


見 ど こ ろ
 日野山城は、日山城・火野山城とも表記され、比高300〜400mもある火野山山頂に築かれた吉川氏の本城だ。中山峠から谷間の沢に添って登る大手道は、ともかく体力的にきつかった。

 やっとの思いで尾根筋に登りつめると、囲繞した土塁と土留めの石積みがある米倉の段、更に庭の遺構のある中の城が疲れを忘れさせてくれる。中の城から大門の原・姫路丸まで急傾斜の登城道をまた登る。(登りよりも帰り道に降る方がおっかない)

 日野山城で大門の原と大広間の段と続く一帯が一番広い曲輪となっていて、これらの曲輪を二の丸が上から防御するように配置されている。

 二の丸土塁上から石垣のある虎口を経て下り丸へ。土塁の遺構がよく残る下り丸から段に分かれた本丸へと連郭式に曲輪が並ぶ縄張りとなっている。更に本丸から南の尾根には出丸・北の尾根には三の丸が配されている。本丸南下の面三の丸西側の面に一部土留めの石積み遺構が残っていた。


歴     史
( 本丸南面の石垣 )
( 三の丸西面の石垣 )
 日野山城は、天文19年に吉川元春によって築かれた。毛利元就の次男元春は、母方の実家吉川氏の家督を相続すると、居城を小倉山城から日野山城へと移した。

 元春は弟小早川隆景と共に毛利両川として毛利本家を支え、天正10年に家督を嫡男元長に譲り、日野山城南麓に位置する地に隠居所(吉川元春館)を築く。

 天正14年に豊臣秀吉の九州征伐に参陣するが、豊前小倉城にて病没した。天正15年には吉川元長も病没し、吉川氏の家督は三男経言(広家)が相続する。

 天正19年、吉川広家が出雲月山富田城へと居城を移すと、元春・元長・広家三代約40年の居城日野山城も廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: R山陽本線広島駅〜バス/千代田IC・道の駅〜バス/中山
 車 : 浜田道大朝IC〜国道261号線
駐車場: 日野山城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
毛利両川の一つ、吉川元春の居城。

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