豊前 小倉城


お城のデータ
所在地 福岡県北九州市小倉北区室町
遺 構 復興天守、模擬櫓、曲輪、石垣、堀
形 式 平城 築城者: 緒方氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 小倉城の五層天守は、南蛮造りと言われる様式の天守で有名である。美作の森忠政が津山城築城の折り、この小倉城天守を参考にするため家臣を派遣したと言われている。

 天守を見るなら、天守東側の小倉城庭園前から見るのがいい。天守台の高い石垣、その上には五層天守、堀に映る白い城壁となかなか絵になる。

 本丸には三層の月見櫓が復興されているが、この櫓は天守復興の際に天守と釣り合うよう本来二の丸から本丸へ入る虎口多門口門脇に建てられた。
 
 小倉城の本丸は結構広い面積があり、ここに大規模な城主の居館が建てられていたのだ。本丸御殿へは槻門と鉄門があり、鉄門付近の石垣は近年に復元されたのだろうか、妙に新しい石垣である。


歴     史
 この地に始めて築城された時期は不明であるが、文永年間には緒方惟重が居城していたと云われている。

 その後室町から戦国期にかけて大友・小弐・大内・毛利と大勢力の接点として重要視され争奪戦が繰り返された。天正15年、豊臣秀吉の九州征伐後、毛利勝信が8万石でこの地を領した。396,000石で

 慶長5年、関ヶ原の戦功により細川忠興が丹後宮津より豊前中津城へと入り、前一国396,000石を領した。忠興は中津城に嫡男忠利を置いて支城とし、慶長6年から小倉築城を始めて7年の歳月を費やし完成させた。

 寛永9年、細川忠利は肥後熊本に転封となり、替わって播磨明石城主小笠原忠真が15万石で入封する。小笠原氏は幕末まで代々西国大名の監視役を務めた。

 しかし、慶応2年の第二次長州征伐では、大坂で将軍家茂が死去すると小倉城に集結していた幕府軍は解散となった。小倉藩のみ孤立し、長州藩との戦いが不利となり、小倉藩は小倉城を自焼し、藩庁を田川郡香春(香春陣屋)へ移した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR鹿児島本線小倉駅〜徒歩約10分
 車 : 北九州都市高速足立IC〜国道199号線
駐車場: 北九州市役所地下の市営有料駐車場利用.。


ひとくち MEMO
元祖南蛮造りの天守があるお城。

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