越後 平林城


お城のデータ
所在地 新潟県村上市葛籠山字葛籠
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 丘城 築城者: 色部氏 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ
 平林城、要害山(加護山城)のある西麓に築かれた丘城(居館)で、広義の『平林城』の居館(根古屋)だ。

 山裾を流れる滝矢川を北側の堀として利用し、殿屋敷と呼ばれる本丸、その南側に二の丸、岩館と呼ばれる三の丸を西側に配した縄張りとなっている。

 本丸の三方を土塁と空堀が、二の丸と三の丸の間には「折れ」の構造をもった土塁と空堀、そして三の丸西側の土塁と切岸など、中世から戦国にかけて、下越でも有力国人であった色部氏の勢力が如何に強かったかを物語る遺構の数々がある城であった。


歴     史
 平林城の築城年代は定かではない、色部氏によって築かれた。鎌倉時代の初頭、秩父氏が小泉荘の地頭職に就き入部。嫡流家は本庄に居(本庄城)を構えて本庄氏を称し、分家の光長が加納の地頭に就き、地名より色部氏を称した。色部氏は、南北朝時代から室町時代には本家本庄氏をも凌ぐ国人へと成長した。

 戦国時代、色部勝長は上杉謙信の重臣の一人として、川中島;関東へ幾度も出陣している。慶長3年、上杉景勝が会津若松へと移封となった際、色部長実もこれに従い、平林城から出羽米沢金山城1万石へと移った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR羽越本線平林駅〜バス/つづら山
 車 : 日本海東北道荒川胎内IC〜国道113号線〜国道7号線
駐車場: 平林城の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
越後有数の国人色部氏代々の居城。

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