常陸 石神城


お城のデータ
所在地 茨城県那珂郡東海村石神字本城
遺 構 曲輪、土塁、横堀、土橋
形 式 平城 築城者: 小野崎通老 築城年代: 延徳2年


見 ど こ ろ
( 主郭虎口と土塁 )
 石神城は、那珂台地の舌状になった先端部に築かれている。城の東側は、かつて久慈川が蛇行して流れていた要害の地であったようだ。

 石神城は、河岸段丘崖に面して遠見城と称する二の曲輪があり、台地繋がりの西側へと主郭、三の曲輪と連郭式に曲輪が配置された縄張りで、その各曲輪を深い空堀と土塁が囲繞してる。この曲輪曲輪群は現在城趾公園として整備されていた。

 更に西側〜北側に四の曲輪、その西側に五の曲輪があり、現在は畑地と住宅地となっている。この四と五の曲輪は面積も広く、家臣団の屋敷地であったと考えられている。


歴     史
( 三の曲輪北側の土塁と横堀 )
 石神城は、築城年代や築城者については諸説あり定かでない。櫛形城主小野崎通胤の次男通房が八百岐館に居住し分家し、4代通茂が延徳元年に芦名・伊達・白河・結城連合軍の侵攻を防いだ久慈郡深来の戦いで討死した。この戦功により5代通老が佐竹氏より石神・河合に所領を与えられて石神城を居城とした。

 天文5年、6代通長は一族の額田城主小野崎篤通との所領争で石神城を攻められて城を追われた。その後、佐竹氏への戦功から帰城を許された石神小野崎氏は、慶長7年に佐竹氏の出羽移封に従い出羽へと移り、石神城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR常磐線東海駅〜タクシー約10分
 車 : 常磐道東海SIC〜県道62号線〜県道358号線
駐車場: 石神城趾公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
深い堀と高い土塁に囲繞された三つの曲輪が残っているお城。

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