常陸 松岡城


お城のデータ
所在地 茨城県高萩市下手綱
遺 構 曲輪、土塁、堀切、堀
形 式 平山城 築城者: 大塚氏 築城年代: 応永27年頃


見 ど こ ろ
( 御殿西側の堀切 )
( 本丸物見台と土塁 )
 松岡城は、関根川の左岸にある小高い丘陵龍子山に築かれている。中世松岡城(龍子山城)は、龍子山山頂部に主郭を置き、山頂部から連なる尾根筋に連郭式に曲輪を並べ、東・北・西の三方を深い堀切で取り込み、南側は階段状に曲輪が構築されたた堅固な縄張りとなっている。この深い堀切は見応えがある。

 地元保存会の方々のご努力で南麓の御殿跡をU字型に取り囲むような曲輪群を見学できる遊歩道が整備され、深い堀切の他にも主郭の土塁や横堀などの遺構を容易に確認することが出来たのは本当にありがたい。

 近世松岡城は、中世城郭の曲輪群はそのまま維持しながら、龍子山南山麓に置かれた居館を中心に整備して戸沢氏も中山氏時代もここに居館を構えている。

 この居館部南側には水堀が設けられ、更にその南側の松岡小学校敷地となっている一帯を戸沢政盛が拡張整備してこの城を近世城郭へと変貌させ、小学校西側の公園に堀や土塁の一部が整備されていた。


歴     史
( 本丸北側の虎口と土塁 )
( 本丸北側の土塁と横堀 )
 ( 御殿南側に残る水堀 )
 松岡城は、龍子山城とも呼ばれて応永27年頃に大塚郷の地頭となった大塚氏によって築かれたとされている(高萩市史)が、大塚氏以前にも鎌倉から南北朝時代・室町時代に平氏・天楠氏・植田氏などが居城していたとの説もあり、この城が誰が築城したかは定かでない。

 大塚氏は、慶長元年に佐竹・岩城氏の支城再編成により陸奥折木城へと移り、松岡城は佐竹義宣の家臣植田城主梶山美濃守が預かった。慶長7年に佐竹義宣が出羽久保田へと移封となる。

 慶長7年に出羽角館より戸沢政盛が常陸多賀・茨城郡内で4万石を領して入封した。政盛は、慶長11年までに城を近世城郭へと改修し城下町を整備し、城の名称も龍子山城から松岡城へと改称した。

 元和8年に戸沢政盛は出羽新庄へと転封してすると、松岡城は水戸徳川家の所領となり、付家老中山信吉に預けられた。正保3年、2代中山信政が松岡城主となり20,000石を領した

 付家老中山氏は、宝永4年に6代信敏が久慈郡太田へ所領替えとなり、加増されて25,000石を領した。10代信敬(水戸藩主5代徳川宗翰の九男)は、享和3年に再び所領替えで松岡へ戻った。慶応4年、14代信徴が明治新政府の特旨により他の御三家付家老と共に独立した大名に列した。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR常磐線高萩駅〜バス/松岡公民館
 車 : 常磐道高萩IC〜県道67号線
駐車場: 松岡城趾アプローチ広場の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
中世城郭と近世城郭が同居するお城。

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