伯耆 法勝寺城


お城のデータ
所在地 鳥取県西伯郡南部町法勝寺
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 山城 築城者: 毛利氏 築城年代: 永禄7年


見 ど こ ろ
 法勝寺城は、城山公園として整備され、地元では桜の名所とか。登城口には、「法勝寺城址」の石碑と案内板がある。

 一説によると、法勝寺城には毛利遠江守本紹が城主になったが、尼子遺臣の山中鹿之介により攻められ落城し、本紹は自刃して果てた、という悲話が伝えられていて、城址の石碑脇に毛利本紹主従の霊碑が建立されている。

 夏場は、登城道も夏草に覆われ、本の丸まで登るのに一苦労させられたが、登り初めてすぐに堀切と堅堀があり、夏草の鬱陶しさを忘れさせてくれる。また、本丸には、朽ちて横たわった案内板が無惨な姿であったが、低いが周囲を土塁が廻らされていた。


歴     史
 法勝寺城は、毛利氏によって永禄7年に築かれ、吉川元春の家臣三村家親が城主となった。家親は、尼子方の八橋城を攻略し、城将吉田源四郎らを敗走させてた。その後、慶長5年の関ヶ原の合戦の戦功により中村忠一が駿河駿府より伯耆一国の領主として入国、米子城を築くと、この法勝寺城は廃城となった。

 法勝寺城は、一説には毛利遠江守本紹が城主になったが、尼子遺臣の山中鹿之介により攻められ落城し、本紹は19歳にて自刃するという悲話が伝えられている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線米子駅〜バス/三本木橋
 車 : 米子道米子IC〜国道180号線
駐車場: 城山公園(法勝寺公園)の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
桜の名所も夏には・・・。 山城と云っても小高い丘の上に築かれたお城。

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