お城のデータ | |||||
所在地: | 福島県耶麻郡猪苗代町古城跡 | ||||
遺 構: | 曲輪、石垣、土塁、空堀 | ||||
形 式: | 平山城 | 築城者: | 佐原経連 | 築城年代: | 不明 |
見 ど こ ろ | |
猪苗代城の縄張りは、丘陵最高所に本丸を置き、一段下がって北・西・南にそれぞれ帯曲輪を置き主郭を形成し、丘陵部裾部分に二の丸、更に東側に三の丸を配置している。現在、丘陵部分が公園となっていて、主郭曲輪群の遺構や虎口の石垣、横堀、馬出などの遺構が比較的良く残っている。また、北西部に繋がる丘には堀切を隔てて、猪苗代盛国が隠居城として築いた鶴峯城がある。 |
歴 史 | ||||
戦国時代、猪苗代盛国・盛胤父子は伊達政宗に対する内応をめぐって対立。天正16年に盛国は既に隠居の身分であったが、当主盛胤の留守中に猪苗代城を占拠、翌年には子息亀丸(後の宗国)を人質に出して政宗に内応した。伊達政宗は、猪苗代城へ入城して葦名義広との摺上原の合戦に臨み、義広を破って会津全域を手中に収めた。 天正18年、伊達政宗は豊臣秀吉の奥州仕置により会津を没収された、猪苗代盛国も政宗に従い岩井郡東山へと移った。猪苗代城は、会津若松城へ入った蒲生氏郷の持城となり、重臣町野左近が城代を務めている。蒲生・上杉・蒲生・加藤氏、続いて寛永20年には保科正之が会津若松城主になるが、元和の一国一城令の例外の城として存続し城代・城番が置かれて明治に至った。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR磐越西線猪苗代駅〜バス/亀ヶ城入口 |
車 : | 磐越道猪苗代磐梯高原IC〜国道115号線 |
駐車場: | 亀ヶ城公園の無料駐車場を利用 |
ひとくち MEMO | ||||||
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