越前 一乗谷城
 

お城のデータ
所在地 福井県福井市城戸ノ内町
遺 構 曲輪、土塁、石積、横堀、堀切、畝状竪堀
形 式 山城 築城者: 朝倉孝景 築城年代: 文明3年


見 ど こ ろ
 一乗谷城は、朝倉氏居館背後の一乗城山に詰の城として築かれ、比高400mを誇る。城山へは居館跡からのルートは近年に崩落して登れず、馬出(八幡神社)ルートと安波賀ルートの二つの登城道がある。いずれのルートも比高400mは結構きつい。

 大汗をかいて登り着いたところが千畳敷と呼ばれる曲輪で、一乗谷城で一番広い曲輪だ。ここに城主居館が建てられたのだろう。土塁囲みの曲輪や舛形虎口を伴う城の中枢部と云える曲輪だ。

 一乗谷城は、この千畳敷が最下部の曲輪で、純粋な防御ラインとしての機能は、尾根に沿って築かれた曲輪群が担っている。

 縄張りは、千畳敷から本丸・二の丸・三の丸と尾根筋に城山山頂へ向けて配置され、本丸の北側には横堀が施され、尾根の要所要所には堀切によって遮断線を構築している。

 この城の特徴は、犬走りや腰曲輪に横移動を防ぐために畝状竪堀が多用されていることだろう。斜面に長い畝状竪堀はよくあるが、一乗谷城では腰曲輪内に畝状竪堀を築くことで、曲輪間の移動を曲輪内を通らなければならず、防御面で優れた構造となっている。


歴     史
 一乗谷城は、文明3年、朝倉孝景は越前守護斯波氏を追放し、平野部の黒丸城から要害の地一乗谷に築城した。5代義景まで朝倉氏は越前を中心に北陸の雄であった。しかし、織田信長の台頭とともにその栄華の終焉となる。

 元亀元年、織田信長の越前攻めは近江小谷城主浅井長政の離反により、信長を敗走させる。この頃に織田氏の侵攻に備えて一乗城山の詰城が修築拡張され整備されたと考えられている。

 しかし、姉川の合戦での敗北、天正元年に信長の越前侵攻の前に為すすべもなく、一乗谷城は落城、朝倉氏も滅亡した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR北陸本線福井駅〜バス/武家屋敷前
 車 : 北陸道福井IC〜国道158号線
駐車場: 一乗谷朝倉氏遺跡の無料駐車場利用(約100台)


ひとくち MEMO
戦国大名朝倉氏五代の居城。

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