磐城 三芦城



お城のデータ
所在地 福島県石川郡石川町下泉
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 山城 築城者: 石川有光 築城年代: 康平6年


見 ど こ ろ
 三芦城は、阿武隈川の支流今出川が東から南を巡る愛宕山の東端に築かれた城だ。築城年代も古く、自然地形を巧みに利用した城だが、名門石川氏の居城としては規模の小さい城と云える。

 三芦城は、愛宕山山頂部に本丸を置き、西側は堀切を隔てて別曲輪(西館)を構えた縄張りとなっている。主郭・西館とも多数の小規模な曲輪群から成る。

 現在、主郭以外は雑木に覆われていて、遺構の確認は難しいが、本丸は石都々古和気神社の境内となり、社殿は以後に土塁を見ることができる。


歴     史
 三芦城は、康平年間に石川有光によって築かれた。石川有光は、永承6年は源頼義に従って陸奥に下向、前九年の役による戦功により仙道の地を与えられた。当初有光は、藤田城を築き、その後三芦城を築いて移り、以後、三芦城は25代昭光まで約500年間石川氏の居城となった。

 石川氏は、鎌倉時代には石川郡一円と西白河郡、東白川郡の一部にまで勢力を拡げたが、室町・戦国時代には衰退、白川城主結城氏に半ば従属、永禄6年には伊達晴宗の子昭光を養子に迎え佐竹氏に対抗したが、その昭光の代になると佐竹義重に従っていた。

 天正17年、伊達政宗が芦名氏を滅ぼすと、政宗の叔父の縁もあり政宗に臣従する。しかし、翌18年、豊臣秀吉の奥州仕置により改易され、三芦城は廃城となった。昭光は、伊達政宗に従い、伊具郡角田城を与えられ21,000石を領する伊達家一門筆頭として明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR水郡線磐城石川駅〜バス/古町
 車 : 東北道白河IC〜国道4号線〜県道11号線〜国道118号線
駐車場: 石都々古和気神社の参拝者用無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
小規模ながら名門石川氏500年の居城。

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