紀伊 岩室城


お城のデータ
所在地 和歌山県有田市宮原町東(岩室山)
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 山城 築城者: 湯浅宗重 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 岩室城は、比高250m、そそり立つ様な岩山の岩室山山頂に城は築かれている。山の中腹まで蜜柑畑となっていて、軽四クラスの車ならば城跡手前まで登ることが出来る。

 麓から歩いて登ると約40分ほど、要所要所に道標が建てられ、道に迷うことはない。しかも比較的傾斜が緩い坂道で、蜜柑の薫りを嗅ぎながら登るため、それほど疲れは感ぜずに登ることが出来る。 

 城跡からの眺めはすばらしい。眼下に有田川が流れ、有田市の市街地、そして紀伊水道まで一望することが出来る。

 城の縄張りは、最高所に本丸を置き、南と西にそれぞれ3段に分かれた曲輪が配置されている。西の曲輪は、綺麗に整備されていて遺構がはっきりしているが、南の曲輪は蜜柑畑と雑木林となっていて、遺構は確認しづらい。しかし、この南の曲輪に「岩室城址」の石碑が建てられている。


歴     史
 岩室城の築城年代は定かではないが、湯浅宗重が築城したと云われ、平安末期に屋島の合戦に敗れた平重盛の子忠房が湯浅宗重を頼り、源頼朝は阿波成長に岩室城を攻めさせている。

 室町時代、応永6年に紀伊守護畠山基国は、広城を本城として鳥屋城と岩室城を支城とした。

 戦国時代になると、畠山政能・定政らは岩室城に拠り、根来寺や雑賀党と共に織田信長の命に従わず、天正13年に豊臣秀吉の紀州侵攻により岩室城は落城し、畠山氏も滅亡した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR紀勢本線紀伊宮原駅〜バス/須谷
 車 : 湯浅御坊道路吉備IC〜国道422号線〜市道
駐車場: なし。(登城口付近に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
ミカン畑に囲まれたお城。

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