お城のデータ | |||||
所在地: | 兵庫県丹波市山南町和田 | ||||
遺 構: | 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、井戸 | ||||
形 式: | 山城 | 築城者: | 和田斉頼 | 築城年代: | 永正13年 |
見 ど こ ろ | ||||||||
登城口から約30分ほど登ると尾根筋の至る。ここから15分ほど尾根を進むと南曲輪を経て下知殿丸にたどり着く。下知殿丸の背後には堀切が設けられ、大手から山頂の主郭部への登る登城道をここで遮断して防備を固めている。 登城道は、堀切を超えて直登するかのように山頂へと通じていた。また、西側山麓を迂回するルートもあり、途中井戸と竪堀の遺構が残り、更に斜面には石垣の遺構が随所にある。こちらのルートが現在の登城路として整備されているが、この道は水の手へのルートであろう。 山頂部の岩尾城は決して規模は広くないが、天守台を備えたた主郭部は、本丸・二の丸・西の丸・出丸と総石垣づくりで近世城郭そのもの。 縄張りは、天守台と付属櫓台と虎口が設けた天守曲輪を最高所に置き、一段下がって天守曲輪を囲繞するように曲輪があり、天守曲輪とこの囲繞する曲輪を含めて本丸を構成している。 二の丸は、南側に更に一段下がって設けられ、本丸西面の石垣下には犬走りがあり、西の丸・出丸へと通じている。また、西の丸から本丸へは内桝形の虎口が設けられ防備を固めている。 天守台の背後には、近世城郭へ改修する前の岩尾古城の物見台の大土塁があり、更に背後に古城と呼ばれる曲輪がある。この曲輪から西へ伸びる尾根筋には二重の堀切を設けて遮断し、と東の狭宮神社方面へと伸びる尾根筋には、土塁で囲まれた帯曲輪と堀切があり、中世の城の名残を今に伝えてくれていた。 |
歴 史 | ||||
天正3年、織田信長は明智光秀を主将としてが丹波攻略を開始する。反織田勢力であった黒井城主赤井直正に従っていた和田師季は、天正7年に西丹波の攻略を命じられた丹羽長秀に岩尾城を攻められ落城し師季も討死した。 天正14年に佐野栄有が3,750石を領して城主となった。栄有は、本丸他城の中核部分を総石垣造りにするなど修築を行った。在城10年で栄有は城を去り、丹波亀山城主前田玄以の持城となったが、慶長元年に豊臣秀吉の命により廃城となった。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR福知山線谷川駅〜バス/和田学校前 |
車 : | 山陽道滝野社IC〜国道170号線〜県道86号線 |
駐車場: | なし(休日には和田小学校の来客用駐車場が使用可) |
ひとくち MEMO | ||||||
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