丹波 亀山城


お城のデータ
所在地 京都府亀岡市荒塚南
遺 構 天守台、石垣、曲輪、堀
形 式 平城 築城者: 明智光秀 築城年代: 天正5年


見 ど こ ろ
( 内 堀 )
( 亀山城 刻印石 )
 丹波亀山(亀岡)城には、かつては今治城天守を移築した五層の天守が存在していた。今では、天守を含めて城跡には何も建物は残っていない。

 城跡には、現在大本教の本部が置かれていて勝手に中には入れない。しかし、大本教の本部受付に行き、受付で「お城が見たい」と言えばすんなりOK。次ぎに、受付の係りの方の指示に従って、三の丸跡にある万祥殿へ。ここの拝殿前で「清めのお祓い」を受け、晴れて二の丸・本丸へ。

 天守台の上が 大本教の聖地となっているため、階段の途中に柵があり、天守台上に登ること はできない。本丸・二の丸は、教団の保護・管理が行き届いているため旧状を良く残 している。三の丸前にある池は、内堀の名残だ。

 建物の遺構として、亀岡市内の千代川小学校の校門として、新御殿門(長屋門)が移築されて現存している。


歴     史
( 移築門 千代川小学校 )
( 移築門 延福寺山門 )
 天正5年、明智光秀が丹波攻略の拠点として、それまで八木城の内藤氏の砦規模の支城を大修築した。 

 天正10年、光秀は信長より中国出陣を命じられ亀山城を出陣したが、老の坂を下り桂川から京の本能寺に軍勢を転じて主君織田信長を討った。山崎の合戦で光秀が敗死後、丹波少将豊臣秀勝、小早川秀秋が城主となっている。

 慶長14年、岡部長盛が32,000石で城主となる。翌15年に徳川幕府は、山陰の要としてこの城を重視し、天下普請による大修築を行った。

 岡部氏の後、丹波亀山城主は目まぐるしく替わる。寛延元年、形原松平信岑が丹波篠山より5万石で入封して安定する。以後明治まで8代に渡って形原松平氏の居城となった。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線亀岡駅〜徒歩約10分
 車 : 京都縦貫道亀岡IC〜国道372号線/加塚〜市道
駐車場: 大本教参拝者専用駐車場を利用。


ひとくち MEMO
かつての五層天守の天守台、今は教団の聖地となっているお城。
  • 亀山城の城門移築先
    千代川小学校 京都府亀岡市千代川町国主ヶ森
    延福寺 京都府亀岡市本梅町西加舎的場

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