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( 天守台と内堀復元工事 ) |
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( 天守曲輪北西隅櫓台 ) |
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( 北廊下門 ) |
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( 東馬出曲輪 ) |
篠山城は、城としては中規模の城ではあるが、城郭建築の技術が最高に高まった時期に、しかも天下普請として幕府の威信もあったのだろう、今に残る石垣群を見ていると、この城の堅固さを改めて認識させられる。
篠山城の縄張は、笹山と呼ばれた小山を削平して方形の天守曲輪(本丸)を置いた。天守曲輪は、天守(実際には建てられなかった)と三隅の二重櫓を多聞櫓で連結した「連結天守」の縄張となっている。
天守曲輪と梯郭式に二の丸が配され、平成12年に復元された本丸大書院をはじめとする城主居館があり、天守代用となった三重櫓と5基の二重櫓を多聞櫓で連結していた。
この本丸・二の丸を犬走りと内堀が囲繞している。現在も旧中学校のグランド・市民グランドとなっていた一帯も含めて、埋められた内堀と石垣の復元工事が行われていた。三の丸は、本丸・二の丸を輪郭式に配され、幅の広い堀と土塁が囲繞していた。
篠山城は、馬出の遺構が残りことでも有名だ。馬出は三の丸への3ヶ所の虎口に設けられていた。大手と東馬出が石垣造りで、南馬出が土塁である。(内側は石垣が築かれていたが今はない)大手馬出は、道路のため今はないが、道路沿いに石垣の一部が残る。また、東と南の馬出は今も形状を良くとどめている。
二の丸に復元された大書院は、二条城大書院を参考にしながら復元工事が進められたとか。真新しい白木の柱、木の香りが鼻をくすぐる。
新築の書院・御殿とはこのようなものかと、普段年季の入った古い建物の遺構を見慣れているだけに感動しっぱなしであった。(もっとも長い年月、風雨に耐えた建造物には重みと深みがあるが・・・) |