丹波 八上城


お城のデータ
所在地 兵庫県丹波篠山市八上
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 波多野元清 築城年代: 永正5年


見 ど こ ろ
 八上城は、丹波富士とも呼ばれている高城山の山頂を中心に尾根伝いに曲輪が築かれている。丹波三大城(八上城・丹波八木城黒井城)の中でも最大の規模と堅固さを誇った城だ。

 この八上城を中心に、籾井城沢田城細工所城などの支城が篠山盆地を囲むように築かれている。高城山の山頂に立つと篠山盆地一帯が眼下に見え、篠山市街にある篠山城も手に取るように見ることが出来る。

 山麓の春日神社一帯は、主膳屋敷と呼ばれ城主の平時の居館が在った所。ここから山頂部へと登城道がある。

 山頂部の最高所に本丸が設けられ、本丸を囲むように二の丸・岡田丸が築かれている。本丸東側と三の丸西側には僅かであるが石垣の遺構が残っている。

 八上城を満喫するには、春日神社から大手道を登り山頂の主郭部へ、ここから土塁の残る蔵屋敷を経て尾根沿いに築かれた馬場から曲輪や堅堀・堀切を見ながら芥丸へと進み、藤ノ木口へと降りるコースがお薦めだ。


歴     史
 波多野清秀が、応仁の乱後丹波多紀郡に守護代として入封し、清秀の子元清が永正5年に八上城を築いて、周辺の豪族を被官化して勢力を拡げた。

 天文21年と弘治元年には、細川晴元と三好長慶の抗争では、波多野元秀・晴通兄弟は細川方に属したため、三好勢に攻められたが2度ともこれを撃退した。しかし、弘治3年には、三好長慶の家臣松永久秀によって攻められ落城したが、永禄9年に波多野晴通の子秀治が松永氏より八上城を奪回した。

 天正5年、織田信長は明智光秀に丹波平定を命じた。信長に反旗を翻した播磨三木城主別所長治と婚姻関係にあった波多野秀治もまた丹波・丹後の国人領主とともに蜂起した。

 天正7年、明智光秀の八上城攻めにより落城して波多野氏は滅亡した。その後、丹波亀山城の支城として明智・羽柴・小早川・前田氏の城代が置かれた。

 慶長7年、丹波亀山から前田茂勝が八上5万石を領して入城する。慶長13年に茂勝が改易となり、常陸笠間より松平康重が入封して篠山城を築城すると、八上城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR福知山線篠山口駅〜バス/本篠山〜バス/重兵衛茶屋
 車 : 舞鶴道丹南篠山口IC〜県道36号線〜県道77号線
駐車場: なし。(春日神社前に路上駐車)


ひとくち MEMO
篠山盆地の中心に聳える丹波富士に築かれたお城。
  • 八上城の登城口
    篠山市内から県道77号線沿いの八上小学校が第一の目印。県道と国道373号線との交差点(八上下)を東に100m程進み細い道へ右折する。細い道路を道なりに200m程進むと骨董屋があり、ここを右手入ると神社がある。この神社が春日神社。神社の奥手から登城道(遊歩道)が山頂まで通じている。

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