お城のデータ | |||||
所在地: | 茨城県笠間市笠間字城山 | ||||
遺 構: | 曲輪、櫓(移築)、天守台、石垣、土塁、空堀 | ||||
形 式: | 山城 | 築城者: | 笠間持朝 | 築城年代: | 天文年間 |
見 ど こ ろ | |||
大手門前の空堀を渡り、大手門跡へ、そして中門から二之門へ、ここには鬱蒼と茂る木々の中に石垣が静かに眠っているた。本丸の敷地は結構広い。ここには一段高く築かれた土塁と八幡櫓台が残っていた。 笠間城のクライマックスは、何と言っても、本丸奥の空堀を渡った所から始まる天守郭だ。急な石段を登ると上から覆い被さるように築かれた石垣、そしてその上には天守台が待ち受けている。 これらの光景を見ただけで、ここまで汗をかきながら登ってきた疲れが、一瞬のうちに忘れさせてくれる。また、市内の保健センターの近くにある真淨寺に八幡櫓が移築されて現存する。 |
歴 史 | ||||
慶長5年の関ヶ原以後は、松平康重が3万石で入封、慶長13年に丹波篠山へと移封。その後、小笠原・戸田・永井氏と移り、元和8年に常陸真壁より浅野長重が入封して53,000石を領した。この永井・浅野時代に笠間城は近世城郭へと改修された。 正保2年、浅野長直が播磨赤穂へと転封する。この長直の孫が、忠臣蔵浅野内匠頭長矩である。浅野氏の後、井上・松平(本庄)・井上氏と経て、延享4年に京都所司代日向延岡城主牧野貞通が入封して8万石を領した。以後、牧野氏が8代続いて明治に至った。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR水戸線笠間駅〜徒歩 or タクシー |
車 : | 常磐道水戸IC〜国道50号線〜国道355号線 |
駐車場: | 笠間城の無料駐車場を利用 |
ひとくち MEMO | ||||||
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