丹波 金山城


お城のデータ
所在地 兵庫県丹波篠山市追入
遺 構 曲輪、石垣、土塁、竪堀、井戸
形 式 山城 築城者: 明智光秀 築城年代: 天正6年


見 ど こ ろ
 金山城は、丹波篠山市と柏原町の境にある金山山頂に築かれた比高300mもの高所にある城だ。この城で有名なのが、『鬼の架け橋』と呼ばれる巨石の橋。江戸時代の浮世絵師の安藤広重が天保五年に丹波路へ入り「日本六十余州名所絵図」として描いた。

 追入神社の脇から大手道を登ること約40分で出丸の一つ園林寺跡へ。ここから左手に進むと竪堀を直登すると柏原側からの登城道を押さえる出丸がある。出丸の竪堀と竪堀に沿った登土塁がよく残っている。

 大手道は、園林寺跡の石垣にそって北に進むと馬場を経て山頂部の曲輪へと登る。馬場の曲輪の虎口にも土塁が残る。

 山頂の曲輪は、東西に連郭式に大きく分けて4つの曲輪群が配置され、本丸は北側に虎口を開き、本の丸西側半分の周囲に石垣が残る。特に南側の石垣がよく残っている。この本丸からは、北に黒井城、南に八上城を一望することができ、この城の築城の意図がよくわかる。


歴     史
( 鬼の架け橋 )
 金山城は、天正6年に明智光秀によって築かれた。天正4年から織田信長の命によって明智光秀の丹波攻略が開始された。

 金山城は、八上城主波多野秀治と黒井城主赤井直正が連携を分断するために、両城の中間点に楔を打ち込む役目を負っていた。 

 天正7年に波多野氏が降伏し、その後丹波を平定した明智光秀は斎藤利三を黒井城に、八上城には並河掃部を城代に配置したが、天正10年頃には戦略的に不要となった金山城は廃城となったと考えられている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR福知山線篠山口〜バス/追入
 車 : 舞鶴道丹南篠山口IC〜行動176号線
駐車場: なし。(追入神社境内に駐車可能。)


ひとくち MEMO
『鬼の架け橋』で有名な明智光秀築城のお城。

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