大和 万歳山城


お城のデータ
所在地 奈良県葛城市当麻
遺 構 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀
形 式 山城 築城者: 万歳氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 万歳山城は、河内と大和を結ぶ竹内峠北側の丘陵のピークに築かれて、河内からの侵入に備えると共に、万歳氏の本城であった万歳平城の詰の城であった。

 万歳山城は、ピークに主郭を置き、北東と南東と二又に伸びる尾根筋上に連郭式に曲輪を並べ、二つの尾根に挟まれた東側山腹には棚田の如く階段状の小曲輪が幾段にも築かれている。更に、南東に伸びる尾根筋の西側斜面には畝状竪堀が設けられ、竹内峠へと続く支尾根には三重の堀切があった。


歴     史
 万歳山城は、築城年代は定かではないが万歳氏によって築かれた。万歳氏は、平安時代から平田荘八荘官の一家として葛下郡北部に勢力を誇っていた。

 戦国時代の万歳氏は、応仁の乱以降越智氏に与して同じ平田党の岡・布施・高田氏とらと交戦している。永禄2年に松永久秀が大和へと侵攻し、筒井氏が辰市合戦で敗れると万歳氏ら多くの大和国人は松永氏に降り、永禄8年に布施城へと逃れた筒井順慶が攻めている。

 天正4年に松永久秀が信長に背き信貴山城にて滅亡すると、大和は筒井順慶が信長から大和守護に任じられると、万歳氏も筒井氏に臣従している。


お城へのアクセス
鉄 道: 近鉄南大阪線二上神社口〜徒歩約30分(登り口)
 車 : 南阪奈道路葛城IC〜県道30号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
平田荘八荘官の一家万歳氏の詰の城。

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